第7問:街かど書き問題
アユタヤでふしぎ発見!!【5日目】
 旅も真ん中に差し掛かり、5日目はアユタヤー観光を楽しみました。
 
 モーチットの北バスターミナルから約1時間。古都アユタヤに到着しました。アユタヤはかつての王朝があった都。1351年にウートン王が都を開いてから、1767年にミャンマー軍の侵攻を受けて滅ぶまでの間、417年間王朝がおかれ、歴史を築いてきました。また、日本史で登場する山田長政が活躍した場所でもあります。

 今日はそんな中でいくつかの遺跡をご紹介しましょう。なお、右の写真はクリックすると拡大します。クイズと共にお楽しみください。
※容量の都合上、画像は縮小しております。

まず向かったのが、ワット・ヤイ・チャイ・モンコンです。1357年に建造されました。巨大な塔のまわりには、数十体の仏像が並び、その外には管理人に良く似た(?)仏像や、根釈迦仏像などがあります。
 塔の上からは、アユタヤーの街並が一望できます。
 比較的保存状態は良く、多くの観光客で賑わっていました。
 次に向かったのが、ワット・プラ・ハムです。ここはアユタヤー王朝を築いたウートン王が火葬された場所で、巨大な塔堂を中心に4基の仏塔や数多くの仏像に囲まれています。

 ミャンマー軍の侵攻の際にほとんどが破壊され、ほとんど原型をとどめていないままになっています。しかし、そんな破壊された仏像にもお供え物が置かれたりと、「復元」とは別な形で信仰を続けるアユタヤーの皆さんの気持ちが伝わってくるような感じがしました。

 なお、観光客は少なめで、ひっそりとしていました。
 次に訪れたのが、ワット・ロカヤ・スタ。

 寺といっても建物らしい建物はなく、ポツンと寝釈迦仏像があるだけの、のどかな遺跡です。寝釈迦仏像の顔はほほえましいほど柔らかく、思わずお釈迦様を身近に感じてしまいます。

 その背後には、寺が建っていたと思われる遺構が残されています。これも、アユタヤー王朝と共に破壊されてしまったのでしょうか。仏像の残骸が1箇所にまとめて置かれたりしていました。
 次に向かったのはワット・プラ・スィー・サンペット。

 1491年の建造で、アユタヤー最大の規模を誇る寺院でしたが、王朝と共にほとんどが破壊されてしまいました。今では石灰で白くなってしまった3基の仏塔だけが残っていて、その背後は広大な廃墟と化しています。

 そのすぐ隣は、ヴィハーン・プラ・モンコン・ポピットという寺院があり、こちらは1951年に復興され、たくさんの観光客で賑わっており、その対比が非常に情緒的でした。
 最後に訪れたのは、ワット・プラ・マハタート。ここは、1374年に建造された寺院ですが、やはりミャンマー軍に破壊されていて、辛じてかつての栄華をとどめています。

 他と同じように、破壊された仏像や崩壊した仏塔などが残されています。遺跡にとまるハトが不思議と印象的でした。

 この後、本当はどこかの遺跡のライトアップをみてから戻ろうとしましたが、雨の降りそうな天気になり、降られる前にとバンコクに戻りました。
 さて、クイズは最後に訪れた「ワット・プラ・マハタート」からの問題です。

 この寺院には、木の根の間にあるものが埋もれてしまっていて、それが非常にアユタヤーの盛衰を象徴するものになっています。では、ここで問題。木の根の間に埋もれてしまっているものとは、一体なんでしょうか?

【ゴリのヒント】
@木の根の間に埋もれているものなので、あまり大きなものではありません。
A今までの問題文をよく読むと、何が埋もれているか想像できると思います。


さあ、みんなで、考えよう!!


それでは、両チームの答えを一斉にどうぞ!!
   
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