僕の二の轍を踏んでほしくないので、「こころの健康」をサポートします。心にゆとりを、やすらぎを。
 
  第8回:44年間自分の夢を語れなかったゴリィ
 
ぼくトドメガネ!トドのようせいのくにのおうじさまだよ!こんかいはゴリィがじぶんのはなしをするからぼくのでばんはないよ!
   
  成人の日ですね。
  今日は「成人の日」ですね。新成人のみなさん、おめでとうございます。社会がこんな状況(コロナ禍)で成人式がなくなってしまったり、あってもみんなで集まって同窓会もできない、そんな情勢の中でもたくましく自分の人生を歩んでいただければ嬉しいです。

今回は、「メンタルヘルス」を完全にしくじってしまった僕の話をしていきます。皆さんは絶対僕と同じしくじりをしないでいただければ嬉しいです。自分の恥を晒してでも、皆さんに同じ道を進んでほしくないのです。
   
  「なんとなく人に合わせる」という自己防御
  僕は「夢」を語ったことはこれまであってかな?と思うと、実はほぼないんです。小さい頃はありましたよ。電車の運転士とか(笑)。僕は左手の中指~小指が奇形して生まれてきました。そんなこともあり、親からは「人に負けるな」と育てられてきました。

そして、同級生からのいじめに遭い、教師からの虐待に遭い、そのことを親は見て見ぬふりをする、そうやって子供時代を過ごしました。だから、「家庭の温かさ」とかそういうものを僕はよく理解できません。

それはさておき、そんな経験を経て「なんとなく人に合わせる」という「技」を身に付けました。何となく周囲に合わせておけばいい。

高校1年の時、2年から「文系」に進むか「理系」に進むか選択することになっていました。そのとき、物理の先生から熱心に「理系」を勧められたのを覚えています。でも、進んだのは「文系」。友達がみんな文系を考えていたので「なんとなく」そっちのほうを選びました。

唯一、意思表示めいたことがあったのは大学の「学部」の選択。ぼんやりでしたが「教育」の道に進もうと思い「教育学部」を中心に受験しました。結果、親の望む「大学」に進むことになりました。確かに、地元ならば自慢になる大学でした。

で、大学でも「なんとなく」友人と同じ「教育哲学」を専攻し、ジョン・デューイの研究をしました。「知識や経験の共有が教育である」という哲学。「Sante Mentale」や「トドろき防災」の背景にあるのはこの思想なので、「なんとなく」で偶然たどり着いたとはいえ、良かったとは思っています。

社会人になると、同僚や上司の顔色を伺って「なんとなく」だったり「こう動かないといけないんだろうな」で生きてきました。結果、からだもこころも「再起不能」になり今に至ります。
※心臓の障害者手帳は有効期限がありません。精神の障害者手帳は2年ごとの審査で、頑張れば脱することもできなくはないのでしょうが、もうその気力はありません。

ここまで「夢」と言葉は何ひとつ出てきませんでしたね。「なんとなく」は幼少経験から生まれた僕の「自己防御策」でした。良い悪いは別として、「仕方ない」ことだったのです。
   
  尊敬できる人たちとの出逢い
  今の生活になり、素敵な夢を持つ皆さんとたくさん出会うことができました。本当に尊敬できる人たちばかりです。それでも、自分は「夢」がないまま。そんな皆さんに囲まれて、やっぱり「なんとなく」過ごしてきました。

だから、それぞれの頑張る姿や僕へのアドバイスは全部やるものと思い込み、「なんとなく」の歯車がまたおかしくなりはじめたのかもしれません。2019年の末に、親友がそれを感じ取ったらしく、「俺たちのアドバイスを実行しようと頑張ってくれるのは嬉しいけど、目標としているものは違うんだから」ということを言われました。

そして、病気が重なったときの親友の最後のアドバイスが「いったんすべてを手放せ」だったわけです。
   
  無意識のうちに夢はいつの間にか持っていた
  そして、自分を見つめなおすため古い写真を整理したり過去の記憶で、「自分の意志で熱中したもの」等を思い出しながら、たどり着いた結果が「トドろき防災」「Sante Mentale」という形になったわけです。

実は「英検2級」という隠れたものもあります。高校当時、みんなが準2級だけ受験する中、僕は少数派の「2級」「準2級」ダブル受験をして、2級に合格しました。これは、幾つかのサイトが英語併記だったり、動画が英語併記だったり、歌詞に英訳(英語で歌えるように意訳しているのでもはや英語詞)がついていたりするところで発揮しています(笑)。

44年目にして初めて意思表示した「夢」。それは「無意識」の中にいつの間にか眠っていたことになります。
   
  最後に・・・「夢がない」という皆さんへ
  夢に遅い早いはない」とは言いますが、実際のところは分かりませんが、まずはこの2つで食べていけることを50歳の目標、この2つで収入が入りはじめるのを47歳の目標として、45歳の今年を「基本」と「継続」で足場固めをしていこうと思います。

・・・別に特別な夢がある必要はないと思っています。「幸せな家庭を持つ」というのも立派な夢ですし、今、夢が無意識にも眠っていなかったとしてもどこかで持つことになると思います。少なくとも、社会人の初期に「防災」や「こころの健康」を伝えていく人生を歩むなんて夢は間違いなく無意識にもありませんでしたから(笑)。
   
  夢は語れなくても意思表示はしよう。
  そんなわけで、今回は「夢」の話をしましたが、僕の最大のしくじりは「意思表示をしてこなかったこと」です。「なんとなく」は確かにあるときまでは自分の「自己防御策」になりましたが、「虐げられたくない」「仲間の輪から外れたくない」ということは大人の世界ではあまり起きないことです。

「なんとなく」も決して悪くはないですが、「感情的」でもいいので自分の「こころ」に常に問いかけてみてください。そして、自分の意思表示はきちんとすることをお勧めします。そのときは立場的にまずくなることもあるかもしれません。それでも、僕のように「からだ」や「こころ」を壊してしまってからでは手遅れです

そしてもうひとつ、自分のこころと時々ゆっくり向き合ってみてください。今、自分が置かれている立場は自分のこころが望んでいるものなのか、自分の夢はそこから見いだせるのか。無意識へのアプローチのヒントは「写真」に表れたり(これは以前に紹介)、自分の聴いている音楽の気に入っているフレーズなどに隠されています。カラーセラピーで「色」をヒントにすることもできます。そこで、自分の夢に気付いたら迷わずその道に進んでください。

終身雇用でもない、ましてこのような先の見えない世の中、例え大手の有名企業に就職できたとしてもそこで一生働ける補償なんてありませんから。

もし、自分の心がどうしても見えないというときはここに時々来てみてください。連載を読んでいただくとヒントが出てきたり、そのうちカラーセラピーを受けることができるようになっていたりしますので(流石にこれは無料ではありませんが)。

では、新成人の皆さんの素敵な未来を願っています。


じゃあまたね!バイバーイ!
 

たちつてトドメガネ配信先】【Take it Easy配信先
 
戻る
 


©TODOROKI RADIO All Rights Reserved.
inserted by FC2 system